gavangavanの日記

書きたいことを書いております。

プッシュとプルとフロー

twitterはある種のRSSリーダー」と呼ばれるように、ブログの更新記事を「RSSリーダ」ではなく「twitterで見る」という人が増えて来ました。

ソーシャルブックマークサービスを見る代わりにtwitterでニュースのリンクを見るという人もいます。またfoursquareでは位置情報を twitterで共有しています。

これらから考えるとユーザは「twitterを使って、他サービスの情報を得る」という流れが強まっています。
(中略)
これらを鑑みるに、ユーザは「プッシュ型」の情報取得に回帰しているのではないか?という思いがあります(厳密な意味でのプッシュではありませんが)。

ここでの定義(プッシュ:受動的に情報を得る/プル:能動的に情報を得る ※「情報」は「形式」「タイミング」などを含めたものを指す)

厳密な意味でのプッシュではない。なるほどテクニカルにはたしかにそうなので、twitterのRTのどこがプッシュだ,プルじゃないのか、といわれるとそうなんだけれども。登録することで配信を受ける部分は形式的には確かにプルだけれども、プッシュかプルかの二値でなく、引用した元記事で語られているような「送られてくる情報にどれくらい予期しない物が含まれているか」、そういう程度を表す連続量としての「プッシュ性」みたいな測り方のほうがしっくりくるね。

RSSも形式はプルだけど、予期しないものがくるプッシュ性も若干あるのはたしか。ただサイト単位、ブログ単位とか、あるいはマスで図った人気順位リスト、とかキーワードヒット、というのと、人をフォローしてることによるRTでえられる情報のプッシュ性には及ばない感じもする(あくまでも感じですが)。RTにはRTしたユーザの向こう側にも別のユーザがいてそのRTが中継されて飛んでくるものの割合も高く、RSSやソーシャルブクマにそういうものがないわけではないけど、差があると感じる。

従来、マスメディアはプッシュ型で情報を配信していました。しかし、インターネットの登場によりユーザは自分が必要な情報を自分で探して見つけるようになりました。

しかし、上記のリアルタイムウェブの流れでは、ユーザはどんどん情報を送り込まれています。

たとえばFacebookのページを開いておくと、知らない間に友人からの動画やアプリの更新情報やメール情報が溢れています。

ただし、これらがある種のフロー性を持っているからこそ、ユーザはパンクせずに利用することができています(RSSリーダーの鬼門だった未読数が溜まるということがない)。

また、このような情報の流れは上記の「ストリーム型」と「ライブ更新」により、「そのページ内で、何もアクションを起こさずとも取得」できるようになります。

流れていってしまうものへの、たまたまそのときのアクセス、というお手軽感がブログチェックやRSS購読よりもよりダイナミズムを増している、関わる頻度が全然違う、という量的な差を生んでいる。これは自分がさらにRTすることによる質的転換(双方向性。RSSに該当するようなものはないし、コメントは重いのでRTに比べれば滅多に使われない)をももたらしている。

そして、この「プッシュ性」がなぜ重要かというと「ユーザにとって楽」だからです。

人は自分で情報を探すことに慣れていません。また、パワーを使います。たとえば英語の教科書を読むよりも映画の英語を聴く方が楽なように、会食の店は決めるよりも決めてもらった方が楽なように。

そう考えると、「ストリーム」「フロー」「ライブ更新」の特性を持つリアルタイムウェブは人間の心理に即して非常に受け入れやすい特性を持っているのではないかと考えられます。

「楽」。らくちん。これはたしかにそうだと思う。これが安易さや迎合や思考停止を招く、という心配も一方であるのは理解できる。そういう側面もたしかにあるけど、それ以上に拡大されたダイナミズムの利益はもっと大きいとおもう。そもそもtwitter上だけで話は終わらないからだ。きっちり議論したい人、そこまでいかなくてももっと長文で思ったことを綴りたい人はブログへのリンクをはるだろうし、そこでの議論の発展はまたtwitter上で交換されたりする。より多くの人に原資料にアクセスさせ、思考を促すきっかけにもなっているはずだから。