gavangavanの日記

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昨日のNHK討論:テレビ新聞の未来

昨日NHKの放送記念日特集の討論番組、そしてそれをみながらツッコミを入れるダダ漏れUST中継の2つを同時に視聴してみた。

音だけでも2つのソースから込み入った話をされると流石に脳がパラレルに動作しない。人間はシングルコアなんだ、と実感する。いや、耳は2つあるのだからミキシングして左からと右から別のソースをいれたら、ひょっとして慣れて同時に内容を理解できるようになるのかもしれない。上下左右反転するミラー入メガネかけて生活できるか、という実験をやったテレビ番組をみたことがあるが、最初とてもまともに動けなかったのが、1週間後には自転車に乗っていた。geometryのキャリブレーションの話とマルチソースの話では次元が違うので比較できないにしても、なんとかなるかもしれないと期待はさせる。

しかし文字信号としてはNHKの番組テロップによる視聴者の意見、twitter上のタイムライン(ホリエモンがさけびまくっていたがおそろしく早い。fastweetliveでみるとよくわかる)。これらのマルチソースまで同時理解はたぶん難しそうな感じだった。

さて。NHKの討論の内容としては皆があちこちで行っているように,全く噛み合ってなかった。いつもの繰り返し。「ネットの情報は玉石混交だから」、だから何?皆知ってることだ。「マスメディアのほうもネットとの協調を考えるべきだし共存できる」、誰がそれに異を唱えているのか。佐々木俊尚さん(@sasakitoshinao)は我々のいいたいことを代弁してくれていたが、それとてなんども旧来のメディア側にむかって言い続けてきた事の繰り返しであって佐々木さん自身も辟易していたにちがいない。

不偏不党を旨とするNHKとしては、各方面の代表者をあつめて討論してもらったとおもっているのだろうが、この番組ははじめから予定調和であって互いに斜め上で言いたいこと言ってるだけであり、もちろん結論などでない。twitterで各自が好きにつぶやいているのとナニが違うのか。

討論では何がしかの成果、問題共有、対立点の明確化、解決法などのアウトプットをきちんと出すことを義務として課さないかぎり、上滑りでおわる。そのためには6人とか7人なんている論者を円卓に囲むなんてやり方がそもそも間違っていると思う。まんべんなくすべての角度からの意見をいってもらおうなんて、番組を提供する側の都合によるexcuseでしかない。結論をださない議論なんて酒飲み談義である(それはそれで面白いのだが)。

1人だと演説だし、2人だとインタビューに近くなる。やはり3人くらいがちょうどよい討論単位じゃないのか。1回ですべてを網羅する議論など無理だ。だからまず3人で見える範囲の議論をし、得られた論点を整理する。次に別の3人(1人か2人は前の回と重複するのがよいかも)にその論点を渡して議論をしてもらう。別の人なのだから別視点で議論が深まっていくだろう。そうして得られた論点をまた次のメンバーで構成する次回に引き継いで行く。そういう討論シリーズ型のほうが、論者もしっかり自分の論を展開できて、誰を相手に議論しているのかわからなくなるような浮遊感や徒労感を少なくできると思う。

番組終了後も続けて放送されたUSTによる裏中継。こちらは参加者がネット側にいる人達であり、NHKの番組ほどひどいすれちがいはなかったけれども、それでもいかんせん人が多すぎる。ホリエモン(@takapon_jp)の話はたしかに示唆に富んでいておもしろい。しかし議題とはすこし外れているところもある。酒のせいで罵声もとびかい、参加者が楽しんでいるのはわかるのだが、オーバーランもある。

津田さん(@tsuda)が朝ダダにつづいて論点整理や議論の深化に尽力していたのが画面からもよく伝わってきていたが、他の参加者は好き勝手な方向に走り始めてとまらない。もともと馬力のある連中なのでこういうときにはかえって困る。

本来、既存マスメディア側の言い分がどうおかしいのかを整理した上で、ネットメディア側がどういうアクションをとることが各メディアをより良い方向へ誘導できるのか、やれることはなんなのかを語る場だったとおもうのだが、津田さんが自嘲気味に反省しているように、番組自体への批判は「全然だめじゃん」くらいで、あとは好きにしゃべるっていうのは、お祭りとしてはありだけど、だんだん行き詰まって行くと思う。

実際、次にこういう企画をしてもあまり興味がわかない。論点をしぼってくれるならありだし、ホリエモンや津田さんや隊長が個別にしゃべってくれる話は面白いので見ると思うけど、集まってグダグダはBGM的に流してこっちもグダグダやるって使い方をするだろう。ひまなときに。みんな(討論者も視聴者も)それほどひまなわけじゃないから。

お祭り以上のなにかにするには、プロデュースのレベルでの工夫が必要なのは確か。