gavangavanの日記

書きたいことを書いております。

垂れ流しメディアとしてのテレビをハイパーリンクの起点に。

〜検索なんかしたくない〜シリーズ第3弾。

これまでなんどか「私はできることなら検索なんかしたくない。」という話を書いてきた。
検索なんかしたくない私とテレビ/twitterの垂れ流し - gavangavanの日記
ダダ漏れより垂れ流しがいい。 - gavangavanの日記

キーワード検索は必要悪であってそうしなくてすむならそれ以外の方法で情報アクセスしたいと私は思っているし、賛同してくれる人も多いのではないかと。そこへいくとtwitterでは、複数の「人」を織り込んで紡がれた糸たる個々人のタイムラインに、さまざまな情報が練りこまれて勝手に押し流れてくる。これはとても快適な垂れ流し体験だと書いた。

USTのダダ漏れ生中継は、誰でもライブ情報を発信できることで(さまざまな制約もあるにせよ)市民権を得つつあり、今年にはいってますます新しいネットの流れをつくっている。でもただダダ漏れではそのコンテンツは砂粒だ。そのダダ漏れライブにたどり着く導線としてのtwitterがあるからこそ、強力な化学反応が生じたのだと思う。そういう意味で「ダダ漏れより垂れ流しがいい」とも書いた。

史上そして現在、最大の垂れ流しメディアは地上波テレビだ。ネットの時代だといってみてもあいかわらずテレビの影響力たるやすごいものだ。この最強の垂れ流しメディアは、デジタル化して進化したとはいえまだ垂れ流されるだけである。インタラクティブ性という実験も行われているけれど、操作性に問題があってあまりポピュラーになれないでいる。

インタラクティブの面白さはニコ動やUST・ツイッターで証明済みだが、あれには適正な規模がある。テレビで体現されるとてつもなくマスな観客の意思を拾い上げて反映するのは至難だ(流れ早すぎーというやつ)。ニコ動はいかに適正な規模にチャンネルサイズを構成するか、サイトの演出面でもコメンタリーシステムの技術面でも、心を砕いているように見える。

テレビの垂れ流しは、基本的に文字の垂れ流しであるツイッターに比べ、映像・音声の垂れ流しもできるので、より直感的な垂れ流し体験を得られる。次世代のテレビのありようは、やはりインタラクティブというより、そこに関連のあるネット情報へのハイパーリンクを適切に配置し(タグ付け)、それをつかってのジャンプの起点となっていくことだろうと思う。

タグ付けは放送側が意図するものもあれば、視聴者がコメンタリーとしてぶら下げて行くものもあるだろう。自動処理よりは人が介在するほうがはるかに面白いし、そのタグ付け行為にインタラクティブ性を感じとってくれるのも人間のユーザーだから。ある時間長の映像クリップに即時的にあるユーザがタグを付け、別のユーザがそのタグをたどってジャンプしていく。そうすることでツイッター同様に放送されている映像ストリームに複数のユーザのもつ情報が練りこまれて垂れ流されて行く。さらにそういうタイムラインの間をザッピングして歩く。

ツイッターは(他人のリストの購読を除けば)基本的になにもないところから自分のタイムラインを練り上げて行くところに最大の魅力があるが、一見画一的なものを押し付けられるように見えるテレビ放送も、そういうコンテンツジャンプの起点としての依代になることができれば、より広い範囲のリテラシーを持つ層にとって、使い易い情報アクセスソリューションを与えてくれるかもしれない。