gavangavanの日記

書きたいことを書いております。

現実の旅を通して見えるヨーロッパと稲垣早希のリアル。


ヨーロッパ編になってからガラッと旅の内容が変わったと思いきや、
海外で出合う人の暖かさには、
日本の時の旅と何らかわりないことに驚きました
言葉が通じなくても文化が違っても同じ人間同士なんで
思ってたよりも壁が低い
勝手なイメージで、
外国に緊張してましたが、
今はスタートしたときよりも
もっと頭を柔らかく考えれるようになった気がします
治安が悪い場所も正直ありますが、新鮮な景色が盛りだくさんで
毎回驚きの連続です


私は旅してないときは日本に帰って来てますが、
日本にいるとき
例えば嫌な事があったとしても、
自分の悩みは世界的にはすごく小さな出来事だ
だから、悩まなくていいんだ
とすごくポジティブに考えられるようになりました。


旅をしてると小さな子供が、私にバラの花を売ってきます。
いりません
と何回言ってもバラを差し出してきます
私は資金でバラを買うことは出来ないから、
断らないといけないけど、
よく考えたらすごく小さい子供がお金を稼ぐ為に働いてるんです


また、イタリアの南部を旅してたとき、
夜、公園を横切ると家族連れのような人たちがベンチに座ってます。
すごく小さな赤ちゃんまでいます。
最初私はピクニックしてるのかな?と思ったら、
その人たちはそこで寝泊まりしてるのでした。
そういう人たちがたくさんいました


海外のブログ旅は
今まで見たことないものもたくさん見ることになります
綺麗な景色もあれば出来れば見たくない景色もあって
放送されているのはほんの一部なので
私は毎回精神揺さぶられてヘトヘトになります
でも、色んな景色を見るのはすごく大事なことなんだと思います
これからどんな場所にいって、何を見るかわかりませんが
ブログ旅ゴールまでしっかり記憶に残していきたいとおもいます

ロケみつ | 目指せ!ポルトガル ヨーロッパ横断ブログ旅: 世界は思ってたよりも近くて難しい

昨日の深夜(すでに日付は今日になっていた)に更新された旅ブログのエントリ。いつもであれば、OA済みロケみつ本編の内容を反芻しながら副音声コメンタリーよろしく進んでいくのですが、今回すでに年末年始ロケみつ旅ブログ一挙放送モードなのでいつもとテイストが違うのですね。

今回のエントリは、久々に良質なエントリになりました。OA中の時間軸で進んでいく旅とは別に、早希ちゃんとスタッフが体験している本当の時間が流れている「旅」があります。日本から飛行機で来欧して前回ロケ終了地点まで戻って、そこから収録分の旅が始まり、またどこかで一旦ロケ終了して、再び日本への帰路へ。そのリアルな旅の中で彼女たちが見ている「景色」は、我々がOAで覗いているものとはたしかにかなり違うものでしょう。

関西縦断で始まった国内の旅は、旅の中断を除けばガチであり、すくなくとそのガチさを制作側も演者も視聴者も共有していることを前提に続いて来ました。無論程度の差はあれ、OAに当たって編集が入っている以上、すべてが偶然とはいえないことは承知の上で、それでもすくなくともOAの時間軸に沿って起こっていることは本物だという体で見てこれたのです。それはなぜかといえば、旅人である早希ちゃんの立場に我々が感情移入していたからです。もちろんそれは演出の成果なのですが、駆け出しの若手芸人として、スタッフの無理難題にもとにかくとりくんでいくしかない、現実世界での彼女自身と重ね合わせられるそのひたむきな姿にフォーカスして番組が進んできたからです。

西日本横断後半以後、ロケみつの早希ちゃん、エヴァのアスカの早希ちゃんとしてキャラが確立して以降、この彼女に対するフォーカシングで番組を持たせることがだんだんと苦しくなっていきます。少なくとも関西においては誰にも負けないほどの人気タレントになった早希ちゃんが、番組内で仕組まれたルール上でいくら苦しめられたとしても、枠の外の現実世界での人気者としての立場がどうしてもフレームの外側に見え隠れしてしまって、旅の経過がどうしようもなく作り物にみえてきてしまうのがジレンマだったといえます。これは必ずしも制作側の演出意図が変質したからともいえなくて、同じ方法論でつくっていたとしても、視聴者が番組越しに知っている現実の彼女の立場がそうさせないのだ、ともいえます。

これは番組内の旅人である早希ちゃんと、現実の人気タレント早希ちゃんの間の像の乖離がもたらしているギャップでしょう。これを番組内のルールで縛って過酷さを演出してみても、ロケは確かにしんどいだろうけどロケが終わって現実にかえればすでに広く認知された人気者であって、ほかにテレビ出演も多数あり、劇場のイベントをみても、ブログ旅でどんなに追い詰められていたとしてもそれと関係なく楽しくネタをしたりゲームに参加している姿がある以上、ブログ旅がテレビのフレームの中に押し込められてしまうのはやむを得ないわけです。初期のブログ旅が、旅での姿=現実の姿という射影関係の構図から視聴者の深い共感を呼んだのと対照的に、その意味でのリアルさを見失って迷走しているのが現在のブログ旅といえましょう。

そういう現状認識のもとに今日の旅ブログのエントリが出てきたことは、非常に示唆的であろうとおもいます。ふだんの彼女の天然さからみてこれが計算されたものである確率は3回連続1が出るよりはるかに低いだろうことは間違いないですが、今日のエントリは本当にリアルなのです。彼女の見た現実のヨーロッパの姿を語る彼女は、まぎれもなく現時点の等身大のリアルな彼女自身です。ブログ旅のキャラになりきって旅人を「演じている」姿ではなく、OAされない部分に象徴される現実の旅を体感して、それに対して単純ならぬ思いを抱いて視聴者にむけて心情告白している、「現実の稲垣早希」がそこには映しだされています。

我々が見たいとおもっているのはまさにこれなのではないでしょうか。

先日の早希単独公演@NGKにて上演されたコーナー企画「ピアノ曲生演奏」。エヴァQ公開当日からはじまり「残テ」を時間をみつけては一人練習し続けるVTRのあとにつづけて、舞台上に用意されたキーボードで彼女自身が生演奏を披露する企画。ところどころつまづきそうになりながらも演奏を続ける早希ちゃんと、それを固唾をのんで見守る観客の一体感。無事演奏終了後の割れるような歓声と拍手に安堵の表情を浮かべる彼女の姿は間違いなく今年1年の最高頂点だったといっていいとおもいます。

僕らはリアルの彼女を見ていたいのでしょう。私生活を、という意味ではなく、舞台や仕事に打ち込んでいる、そこからなにかの成長を見出すその瞬間を楽しみにしているのでしょう。それならば、それこそがブログ旅の回帰するべき方向なのではないでしょうか。ブログ旅のルールで課されたことをこなすだけでなく、ルールの外で彼女自身が見聞きしたもの、出会ったもの、それらを彼女の目線で語っていく構図が出てくれば、それはきっと視聴者を惹きつけてやまないものになると確信します。

2年近く前、九州編で長崎は軍艦島を訪れたときの映像はいまでもよく思い出されます5/12のロケみつ:高度成長の残照と甘き死よ来たれ。 - gavangavanの日記。彼女の旅している世界はゲームの世界ではなく、我々の生きている時代、街と地続きにつながったリアルな世界です。彼女の旅は造り物と現実のちょうどはざまにあるのです。まるでブログ旅での彼女自身がアニメキャラとリアルな芸人・稲垣早希のはざまに立っているように。

今日のエントリにかいま見える視点を彼女が持ち続けていられるのならば、彼女の視点から見える現実のヨーロッパの文化と歴史と現状を画面に織り込んでいくことで、リアルの稲垣早希をブログ旅に取り返すことができるようにも思えるのです。