gavangavanの日記

書きたいことを書いております。

まどか☆マギカをついに見たーその2ー

その2です。新編のネタバレも一部含みます。

マミ

先輩魔法少女巴マミ。彼女の悲劇的な結末(のひとつ)はおそらくリアルタイム視聴組にとってはかなりの衝撃だったのではないかと、これはいまとなっては想像するほかはなく、あとから見ている我々には同じ心境に立つことはもはや不可能に違いない。マミの存在感は足元の少し先を照らす暖かなランプの明かりだ(パーソナルカラーが黄色なのも決して偶然ではない)。まどか母や和子先生は完全に大人として精神的に切り離された存在である一方、まどかたちのほんの少しだけ先を歩くマミとの出会いはまどかの精神的成長を促すスイッチになった。それは繰り返されるどの時間軸においても不変だ。

マミの契約の詳細は多く語られていない。家族とともに事故にあって考える余裕もなく自らの生存を願いとして魔法少女になったと推測される(この事故ですらキュゥべえの画策か、そうでなくとも知っていて放置した未必の故意の疑いは濃厚)。生きることの意味を見出すことに人一倍気を使っていた人物。だからまどかやさやかが契約をすることを一度制止し、よく考えるように二人を諭している。

マミはおよそ中学3年生とは思えないほどものごとをよく考えている。与えられた材料から何が最善でどうあるべきかの答えを慎重に選び出す。だからこその自信あふれる行動力とそのゆるがない態度なのだろう。そして彼女は強い。見滝原を一人で仕切ってきたことからみてもその魔法少女としての能力はおそらくかなりのレベルだろうと思われる。実際新編では時間遡行の果てに相当の使い手になっていたほむら相手に互角以上に渡り合って最後にはそれを凌駕する力を発揮して彼女をねじ伏せる(ほむらの意識の世界なのだからほむらからマミがどう見えているか、と読み替えてもよいが結論は変わらない。あとのキュゥべえによる説明からみてもあのマミは本人であろうし)。それゆえに自らの寄って立つ足場が瓦解したときの脆さは避けるべくもないものであったともいえる。ある時間軸において魔法少女はいずれ魔女になる定めと知ったことから絶望し衝動的に仲間の殺害にいたってしまうのも、本来は信頼厚い保守派としての彼女の性質の裏返しだ。

筋道立てて自分の立場を補強することを怠らない努力の人であるマミ。弱さを人に見せることが結果としてできないだけに、その孤独さはほむらとはまた違ったレベルで自らを苛んできたことだろう。彼女の前に人はいないのだから。マミの後ろをついてくる存在としてのまどかが彼女にとってどれだけの安寧になったかははかりしれない。人は優れているから、強いから前に立つのではない。後ろに続くものがいるから前に立てるのだろう。マミが先輩マミとして立ち上がるためにまどかやさやかの存在は必要不可欠だ。ここでも人の関係性が人の立場をつくり人を動かすのだというシナリオの原則がみてとれる。

新編ですべてを断ち切って一人革命家としての道を進むほむらにもし何かを悟らせることができるとしたら、それはマミの言葉かもしれない。その保守性=母性だけが、ラディカリズム・原理主義を現実の世界に接地させるための唯一の論理だから。新編でのマミVSほむらの構図は、もし万一さらなる続編があるとしたとき、マミがキャスティングボートを握る伏線になってくるかもしれない。

まどか☆マギカをついに見たーその1ー - gavangavanの日記
まどか☆マギカをついに見たーその3ー - gavangavanの日記
まどか☆マギカをついに見たーその4:神の独り占めは罪深いかー - gavangavanの日記