gavangavanの日記

書きたいことを書いております。

いろいろ物議を醸しておりますが。

昨日は、受け止めるほうにとってもまあなにかと思うところの出てくるエントリが2つほど上がっていて、ツイッターはじめさまざまなチャンネルでの感想やら意見やら憤りやら感嘆やら、さまざまに情念の溢れ出る展開となったわけでありますけれども。

世の中広いもので、ろくでもないこといってみたり送りつけてみたりする輩が後を絶たないというか、案外極少数が継続的に活動しているだけなのかもしれませんが、ほっとけというか、相手するなというか、そういうあくまで冷静な意見というのも理解できるし、僕もわりとそのスタンスに近いのではありますが、実際その手の、まさに自分へ向けられた悪意を目の当たりする方からしてみれば、今後刺さらないようにする避け方の吟味よりも、さしあたってすでに深くつき刺さってしまった棘の処置のほうがよほど喫緊の課題なわけで、内的自己治療も兼ねて吐き出さずにはいられますか、というのは大変によくわかる事態であったりします。

僕なんかははるか彼方から遠巻きに見ている傍観者のレベルをどこまでいっても脱することはできないので(とはいえだからこそ気楽である、ということもまた確かに言えるのですが)、理解してあげられるかだの、なにかの役に立てないかとかだの、ということを考えるだけ事態の本質から遠ざかるだけかと思うので、これ以上どういうことはないのですが、それでもまあなにかしか書き残しておきたくもなるわけです。

結局悪意にでるにせよ、善意にでるにせよ、こちらを認知してほしい、という欲求が根底にあって、そこからでてくる外面行動なんでしょうね。表層面では180度反対を向いていて、それに対するご本人のリアクションも正反対なわけですが、根っこは同じだろうと。それゆえにあまり接近するのは互いに得策ではなかろうし、そうしたからといってなにがしかの解決になるわけでもないのだろうと思えばこそ、いままでの距離感を維持しようと考えるわけです。

僕自身は基本出待ち入待ちしない主義だし(実際それをしているだけの時間的余裕もないし、それだけの時間的代償と釣り合うだけの価値をそれに見いだせないでいる人種)、特段声をかけてどうこう、というのもさほどなかったりもします。唯一ネタなり仕事なり番組なりにおけるパフォーマンスについてはあれこれと考えるところもあるし、言いたいこと(半分は伝えたいことでもある)もあるからこそのこのブログなわけですが、取り立ててそれ以上に接近を試みるところまでは盛り上がらないというか、今回のようなことがあればあるほど、かなり引いている自分を再確認してしまうことが多かったりします。

オフィシャルな握手会などを除いてたぶん私が直接話かけたのは初回の広島単独のときで9/20単独イベント@広島の感想・繋がっちゃいました。 - gavangavanの日記、このときはそれだけの事情があったゆえにそういう行動に踏み込んだのですが、たぶんこれに近いシチュは遭遇することがあってもたぶん前に出ることはあえてしない気がします。そういう突っ込み方をした時点で、いままでのような調子でエントリを書くことができなくなる気もします。現時点で僕が何者であるかについてはまず認知されていない(最大限に見積もってもこのブログの著者程度であって顔なぞわかるはずもない)はずですが、こちらを認知してもらって日常的に会話をする、ということと、エントリで言いたいことを書き連ねることと、どちらをとるかといえばあきらかに後者なので、そのあたりが普通の(いや普通を超越しているのかw)追っかけの方々とはベクトルが違うのだなあと思ったりもします。

特段今回のエントリに結論めいたものはないのですが、どういうスタンスで何を見ていくのか、踏み込める領域におのずから制限がある以上、時折見なおしてみるきっかけとして今回の出来事も位置づけられる気がするのです。