gavangavanの日記

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超電王トリロジー第1弾をみた


昨日はいろいろと予定があったため大学を休んで家族サービスの日。超電王の映画に連れていかされた。2007年に放送された仮面ライダー電王は最終回から2年以上たっているのに映画が3本も製作されて、しかも今回はさらに3作品連続リリースという化物ぶり。ライダー史上最大のヒット作となっているが、たしかにその世界観はスピンオフが作りやすいことに加えて、なんといってもモモタロスをはじめとするキャラクター達の魅力だろう。以下ネタバレを含むので映画を観る予定の方はご退避を。

人の持つトラウマを利用して過去に飛ぶ怪物イマジンを追って時をかける仮面ライダー、電王。ライダーもかっこいいけど、毎回のゲストの心の痛みやそれを癒すために奮闘する主人公たちの優しさとか、乱暴者で全然素直じゃないけど根は結構いい奴なモモタロスと、主人公良太郎との友情とか、とにかく見終わったあとに心温まるというか、早希ちゃん的に言えばなんとなく「ほっこりするやんか」という感じが、いまでも人気が続いてる理由じゃないかとおもう。このシリーズでは本当に不幸になるひとがいない。

今回のトリロジー第1弾は電王のライバルとも言えるゼロノスこと桜井侑斗が主人公のサイドストーリー。電王本編では物語の謎の中心となる、良太郎の姉愛理さんとの悲愴なラブストーリーの行く末をこの映画でついに補完した、という話。

昭和の仮面ライダーの主人公の多くは孤独なヒーローで、特にその究極なのが家族を目の前で殺された復讐のために改造人間になるV3・風見志郎だと思うのだけど、これに匹敵するくらいの悲愴感があるのが桜井侑斗・ゼロノスだ(現在放映中の仮面ライダーWに出てくる第2のライダー、アクセル・照井竜は風見志郎のオマージュだがそれはおいといて)。

侑斗はゼロノスに変身するためにとても大切なものを消費している。それは人々の中にある侑斗に関する記憶。変身するたびにだれかが侑斗の存在を忘れて行く。今日誰かと心を通わしても、イマジンと戦うために変身すると、相手の記憶とともに生まれかけた絆は消えてしまう。この設定が最初明らかになったときにはものすごい衝撃を覚えた。

変身する侑斗は愛理さんの恋人の桜井侑斗の数年前の姿。桜井と愛理さんの一番大切なもの=生まれたばかりの赤ん坊=ハナさんをイマジンの目から遠ざけるため身動きできない現在の桜井の代わりに、過去から現在にやってきて、桜井の記憶、さらには過去の侑斗自身に関する人々の記憶を糧にライダーに変身する。

変身するたびに人々の記憶を消費していくから、信頼できる友達もできない、頼れる人もいない、しかもこれをつづけていくといずれ人々の記憶から完全に消えて、自身の存在そのものも消滅する。計り知れないものすごい孤独感の中で戦うという、これはもう物凄いテンションだと思わないですかっ。時間の影響を受けない特異点である主人公良太郎だけは侑斗のことを決して忘れなかったことから、最初はいがみ合っていた二人が友情に目覚めていくプロセスは爽快ですらあるのだけど、それにしてもキツイ境遇だよね。

結局、テレビ版最終回ではハナさんを守りきったものの現在の桜井自身は記憶のカードを使いきって消滅、過去の侑斗は未来に縛られない新たな自分の人生をスタートさせることになった。でも愛理さんと再び結ばれるのかどうかはわからないという、すこし感傷的な最終回になっていた。

今回の映画はそれを補完した作品だ。

愛理さんからみて、今の侑斗は自分の好きだった桜井とはだいぶちがう。何年も若い姿だし、桜井とちがってコーヒーはブラックでは飲めず砂糖を大量に放り込んでなんとか飲む。包容力とよりも、自分の弱さを見せるのを嫌って必要以上に突っ張って見せる。そのくせ極度の寂しがり。あの桜井とは違う存在へと成長していく。

途中、愛理さんももう元には戻れない、いまの侑斗はあの桜井ではないのだと、自分を納得させようとするのだけど、終盤その侑斗の中に変わらないものを見つける。

星のこと。星座のこと。夜空を見上げて、子供のように楽しそうに星のことを語る侑斗の中に、あの桜井の姿をみいだす。

時間が過ぎていけば、昔と違ってしまうものもある。いつまでも同じではいられない。でも変わらないものもある。過去にすがるわけじゃない。刹那的に生きるのでもない。記憶のもたらす温かさとともに今と未来を生きていけたらいいんじゃないか。そういっているような映像だった。

The past should give us hope. -- 過去が希望をくれる。

電王のテーマをちゃんとここで紡いでくれたのはなかなかよかった。ますますこの言葉が好きになった。